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2005/12/16 Friday

仰木彬さん死去

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仰木彬さん死去

御冥福をお祈りします
貴方は本当に男のなかの男でした

キヨ!ノリ!
イチロー!田口!
梨田元近鉄監督!
かつての球団の垣根を越えて
一同に会して
くれる日が来ることを願って
。。。

オリックス前監督の仰木彬氏(オリックス・シニアアドバイザー)
が呼吸不全のため福岡市内の病院で死去。70歳。
近鉄、オリックスの監督として3度のリーグ優勝
オリックス時代の平成8年にはイチロー(現マリナーズ)
を擁して日本一になるなど、幾多の栄光を築き上げた名将
葬儀・告別式は、故人と家族の意向により密葬で執り行われる

オリックスの監督を退いた後も
体調悪化で入退院を繰り返していた
昨年、オリックス・近鉄の合併が決まると
両球団を熟知した最適任者として初代監督を請われた
夏場も長袖シャツにウインドブレーカー
抗がん剤を使用していたため
薬の副作用の跡がある肌を露出するのを嫌った

九月中旬には顔色も悪くなり
試合開始ギリギリまで監督室にこもるようになった
睡眠もままならず、食欲も次第に落ちていった
それでもシーズンを戦い抜いた

(監督を)引き受けた限り、どんなにしんどくても
しゃきっとした姿を見せなくては。チームの士気に影響する

選手の技術を見る目は並みかもしれないが
人そのものを見る目はある

大事な資質と思っている

仰木マジックと評されるけど
マジックなんて使えるワケがない
野球はデータが基本

オレの人生のピークは57歳まで(その年、近鉄の監督を辞任)
あとは余禄(監督として)グラウンドで倒れても本望

辞任を申し入れた仰木彬前監督は、直後に福岡市内の病院に入院
そのころから病魔は身体をむしばんでいた
10月、病状を心配したイチローや田口の見舞いを受け
一時は外出できるほどまでに回復
したが11月には再び病状が悪化
フロント幹部にも内証で病院を移った
周囲に迷惑をかけたくない」という理由だったという

スカイマークスタジアムでは一塁側ダッグアウト内で
仰木氏が座っていたパイプいすに
白い花束
がささげられた

仰木氏は94年に肺がんの手術を受けていた
03年にがんが再発し二度目の手術を受けたが
抗がん剤による治療が成功
2004年12月の野球殿堂入りを祝うパーティーでは
イチロー、野茂、田口らに囲まれ
ゴルフコンペも楽しんでいた

仰木氏は三年前から体調を崩し、今季限りで監督を退任して
オリックスのシニア・アドバイザー(SA)に就任した後は
主治医の下で闘病生活を送っていた
プレーオフ争いの激闘は、着実に体調を悪化させていた
就任時から一カ月に一度受けてきた定期検査は
風邪をこじらせた夏場以降は二週間に一度に短縮

微熱が続き、シーズン終盤の試合中にはベンチ裏に
氷水で冷やしたタオルが欠かせなくなっていた

闘病中の11月3日には愛弟子・イチローも見舞いに訪れていた
二時間ほど談笑し、仰木SAは球団広報を通じて
こんなにイチローと話し込んだのは初めて
今度はキヨに会えたらいいな

とコメント
イチローとは12月に神戸で食事する約束も交わしたが
ついにかなわなかった

補強に関してはいろんな点で推し進めなイカン
勇退会見ではSAとしてらつ腕を振るうことを強く誓っていた

マリナーズ・イチロー外野手
仰木彬氏の急逝にショックで
コメントできない
様子だったという

一時帰国して仰木氏を入院先の福岡市内の病院に訪ね
二時間も話し込んだばかり
恩師と過ごした最後の濃厚な時間は鮮明によみがえってくる
「その時の監督の姿が思い出され、落ち込むようだ」
岡田マネジャーはイチローの心中を代弁した。
「器が違う。いろんな監督に出会えば、出会うほど、仰木さんは際立つ」
イチローがそう話したのは仰木氏がオリックス監督勇退を発表した翌日
その前夜には国際電話をかけ「ゆっくり休んでください」の言葉を送った
今季、仰木氏が監督として現場復帰してからは
監督の体調だけが心配だったとも話していた
恩師の笑顔を見たくて一発を狙ったこともある
2003年ジャイアンツとのオープン戦
観戦していた仰木氏の座る右翼芝生席に“第1号”を打ち込み
「見てる人もホームランは喜ぶみたいですしね」と笑った
三年連続で激励に駆けつけた同氏への感謝の気持ちを
バットで表現してみせたのだった

吉井理人投手
こんなに悪くなっているとは思わなかった
心から信頼できる大将のような存在だった
現役続行のピンチに救いの手を差し伸べてくれた
いまも現役でやれるのは仰木さんのおかげ

後半は、ゲーム中でも奥で休みながら指揮を執っていた
監督は命を削ってチームのために頑張っているんだなと思った
それでも明るく振る舞う姿に『この人は不死身なんだ』
と信じていたんですが…
結果が悪くても、選手を信じて使い続けてくれた
命を削ってまでプロ野球を盛り上げてくれた姿はずっと忘れない

中村監督
仰木彬氏から「自分の色を出せ」という“遺言”を託された
(中村監督は)気を遣うところがあるので
もっと自由にやれと言われた(仰木野球の)継承でなく
自分の色を出せということだと思う

元近鉄監督の西本幸雄さん
昨年、オリックスの監督を再び引き受けた時に
体調は大丈夫かと聞いた
本人も一抹の不安があったようだが
もしものことがあっても
ユニホームを着たまま倒れれば本望

と言っていた

近鉄時代、長年、コーチとして仕えた仰木さんに
監督として帝王学を授けた西本幸雄さん
再びオリックスの監督を務めることになった昨シーズンのオフ
ユニホームを着て、もしものことがあっても男の本懐だ
と言っていた。(今季)テレビの中継を見ていて
時々画面に映らなくなっていた

でも、ベンチに戻ってからは、そういう気配を感じさせなかった
その辺りが彼のけなげさだろうか

近鉄最後の監督、梨田昌孝氏
11月末に電話で話したのが最後に
ぼくが何もお手伝いできませんで、とお詫びすると
優しい声で『いいよ、いいよ』と言ってくれました

今年はシーズン中に弱音も聞いた
あの人が『もう、あかんで』と何度も漏らしていた
野球に対する執念はすさまじい人だったから
本当につらい状態だったのでしょう
通算1000勝まであとわずかでした
本当に早過ぎます」

西鉄での現役時代から仰木監督の盟友だった中西太氏
数日前に病床の仰木監督から電話を受け
来春のキャンプ地での再会を約束しあっていた
清原、中村紀らオリックスの補強が進展していることを
最後まで喜んでいたという
「来年のオリックスが心配だと聞いたんだ
彼は明るくなって、そろそろいいことがありますよ、と
清原君や中村紀君のことを言っていたのだろう

『来年の春はぜひ宮古島(キャンプ)に来てくれよ』
と誘われたんだ」

三原脩氏の娘婿である中西太氏
オヤジは若いころから仰木君を指導者として育てていた
三原の構想通り、引退後はすぐコーチに
1992年近鉄の監督を退任するまでは
一度もユニホームを脱ぐことはなかった

奔放な発言、人を驚かすような選手起用が
「仰木マジック」と呼ばれた
が、実は観察と計算に裏付けられた効率的なものだった
自身の采配ぶりを「マジック」
と言われるのを嫌っていた
選手の長所を見極め、自由にプレーさせた
「チームプレーなんて考えなくていい
自分のために一生懸命プレーすればいい
結局、それがチームのためにもなる
のだから」

日常生活でも
「門限なんて作ったら僕が真っ先に破るだけだから」
と選手の自主性を重んじ、責任ある行動を求めた

横浜・阿波野投手コーチ
体が悪いのは知っていました
心配はしていたのですが、本当に残念です
ゆっくり休んでください

阪神・岡田監督
いろいろな思い出がありすぎて
言葉が思いつきません

選手、コーチ、監督とユニホームを1度も脱いだことがない
岡田監督に対し「解説者として外から野球を見るべき」
という声も少なくなかった。しかし仰木さんは違った
「いつもユニホームを着た方がいい、とアドバイスをくれた

上田利治氏
手を打つべき時は打ち、我慢する時は我慢する切れのある采配
(さいはい)を振る有能な指導者だった
夏、『大丈夫?』と声を掛けたが
芳しい答えが返ってこなかったので心配していたが……
この1年は覚悟の上での戦いだったのだろう

カージナルス・田口壮
信じられないし、信じたくない
これが本当なら無念です
僕の中では(仰木氏が亡くなられたことが)理解できない

西鉄OB会長を務める関口清治氏
頭がいい選手だった
(今季監督を務めたことに)相当無理したんだろうが
引き受けたところは彼らしい最期だった

出身校東筑高野球部の後輩にあたる
高野北九州市助役
市で社会人野球チームを作る構想があるため
将来の代表就任を打診
していた
二週間ほど前に電話した際仰木さんは
「今回は断るぞ」と答えたという
仰木さんの声が弱々しかったことが気になったため
高野助役は
「まさか病院なんかに入っていないでしょうね」
と尋ねると、仰木さんは強く否定したという
頼まれたことには嫌と言わない人だった
そんな人が断るくらいだから
症状は本当にひどかったのでしょう

バレンタイン監督
“ボビー・マジック”のヒントにもなった
“仰木マジック”の日替わり打線
イチローの起用法について議論したことがある
1番か3番か。それが印象に残っている
良い友人を失ってしまった
いつも親切で、私の成功を祈ってくれていた

清原和博内野手
球界の先輩として
そして男の生き様として尊敬している人です
心から冥福をお祈りしています

男気と人間死ぬまでグラウンドに立ち続けた姿が
とても心に響きました

死ぬ気でグラウンドに立ち続けた姿は
とても心に残っています
球界の先輩、男の生き方として尊敬している人
心から冥福をお祈りします

仰木さん死す、がんと闘い1年指揮

スポニチ 仰木彬氏 追悼写真集

オリックスカラー3本線のソリ込み

清原は“オリックスカラー”濃紺のTシャツ
側頭部にはオリックスのヘルメットをほうふつさせる
3本線のソリ込み
を入れて
姿を現した

仰木氏の訃報が清原去就に影響か

オリックスが元ドジャース中村紀洋内野手の入団を確定させた
小泉球団社長
条件提示・身分照会しています。合意した? ご自由にご推察ください
契約なので最後の最後までわからないですが

オリックスはロッテを自由契約となった
左腕セラフィニ獲得にメド
をつけた
今季の対戦では0勝4敗と苦手にしていたこともあり
負け数減も計算できる
悲願のプレーオフ進出を狙える体制が着々と整ってきた

ボビー・バレンタイン監督
彼(セラフィニ投手)「は他の球団に行く決断をした
ウチより、はるかに上の提示をしたのだろう
獲得に乗り出しているオリックス入りが有力

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